私達のまち なみえ(1/5)

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浪江町
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福島県でも海岸線に面したここ浪江町は、東は太平洋、西は阿武隈山系の稜線まで伸び、面積は223平方キロメートルで双葉郡の総面積の4分の1を占めております。人口は約2万3500人、南北にJR常磐線と、国道6号線が平行に走っております。
まつり
時間: 1分02秒
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浪江町には火ぶせ祭りとして、極寒に行われる奇祭裸まいりや、豊漁、海上の安全を祈る安波祭、また県の無形民俗文化財や、町無形文化財に指定されている、多くの祭りの行事があります。祖先から現在まで継承され、風土の持つ伝統は、今若者の手によって受け継がれております。そのうちの6つの祭をご紹介いたしましょう。
裸まいり
時間: 2分39秒
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浪江町権現堂は高野の里と称し、町並みは現在の本城、本町の通りで、東西に伸びておるために、火災が起きると西風にあおられて、大火となることが多くありました。トウヤコヤガケ脆くも焼けた、造り並べてまた焼けた、などと歌にまで歌われたそうで、寛政10年に浪江町となりました。ことに安政6年の大火には、85戸のうち、災いを免れたのはわずか3戸だけだったそうです。そこで火災から免れるために、町並みを南北に300軒、東西に60軒とし、現在の新町通りの中央に堀を通しました。さらに権現堂村の鎮守として、西台村より出羽神社を町の中央、現在の浪江郵便局の地に遷座しましたが、昭和34年に蛭子町の西の宮、蛭子堂の地に移され、浪江神社と改名されました。 時の若者頭、吉田サクガイの発案で、毎年旧正月8日に、各戸1名ずつ参加して、ふんどし一本に腰しめ縄の姿で、出羽神社に無火災の祈願をし、水垢離を取りつつ町中を回りました。これが裸まいりの始まりで、以後現在に至ります。昭和4年、当時の警察署長によって浴衣をつけるようになり、昭和5年、当時の消防部長の発案により白装束に統一されました。

浪江神社
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浪江神社に参拝し、お祓いを受けます。先導者が塩をまき、清めた後に、白装束の青年たちが出発します。
雷神社へ
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通りに並ぶ、それぞれの門口に立つ人々が、青年目掛けてひしゃくで水を掛けます。この中を走りながら、新町通りを北上し、西台の雷神社を目指します。
夢中で走る
時間: 1分53秒
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しばらく暖を取り、泉田川の北側の堤防沿いに東に進み、不動橋を渡ります。若者たちは冷たさも忘れ夢中で走り、町の中心で打ち上げとなります。

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掲載情報の著作権は浪江町に帰属します。
浪江町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。