私達のまち なみえ(4/5)

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ミニ神旗争奪戦
時間: 6分30秒
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中央公園において、ミニ神旗争奪戦が行われます。開始の法螺貝が鳴り渡ると、中天に狼煙が炸裂、神旗が舞い降り、いち早く旗の下に群がり、太い鞭を振っての奪い合いは戦闘さながらです。幸運にも、神旗を絡め取った騎馬は、高々と旗を、誇らしげに掲げながら、公園を一周します。そして騎馬たちは、チョウフンセイショ、指旗がはためく音、鎧の擦り合う音、馬蹄の土を蹴散らす音が、紛然となって走り抜ける光景は、見る人の心を戦国時代の昔に引き戻され、興奮をかき立てます。やがて最後の狼煙が終わり、散らしの法螺貝が鳴りわたると、騎馬も人も満ち足りた満足感を身体いっぱいにみなぎらせて、散っていきます。
鮭まつり
時間: 1分15秒
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高瀬川渓谷が色づき始める、9月下旬から11月にかけて、下流の泉田川では豪快な鮭漁が行われます。泉田川鮭漁の歴史は古く、相馬領時代、標葉郷の泉田村の泉田川として歴代の藩主が鮭の乱獲を禁じ、資源を大切にと、孵化増殖の鮭繁殖組合として、人工孵化事業を行いました。
鮭ヤナ場
時間: 1分51秒
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明治41年、高瀬川に南側ヤナ場、泉田川に北側ヤナ場を設置して、捕獲した鮭の卵は孵化場で孵化され、稚魚を放流し、増殖に努めてきましたが、昭和28年、漁業権が一本化され、泉田川漁業組合として発足し、以来組合員一致協力して、ますます発展してきました。昭和56年、苅宿孵化場新設以来、毎年約2万尾くらいの稚魚を泉田川に放流し、また、他の河川へも移出などを行い、県内11河川の基幹河川としての役割を果たしています。春先、放流された稚魚は、海に下り、約4年たって、産卵のために生まれ故郷へ帰ります。10月から11月は最盛期で、年間で10万尾ほどの漁獲高を誇っています。

鮭を味わう
時間: 1分28秒
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約120メートルの川幅いっぱいに網を流し、徐々にたぐり寄せながらの地引網漁法は豪快そのものであり、網の中では銀々が舞い踊ります。揚がったばかりの鮭をそのま販売したり、鮭とイクラを煮込んだ鮭飯、また生鮭に程よい味の塩焼き、そして大根や人参その他野菜と鮭を煮込んだホウヨウ汁などを、観光客はふんだんに味わう鮭のひとときに、おいしい秋の一日を楽しんでおります。
十日市
時間: 2分18秒
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十日市は、毎年11月23日を中心に3日間行われておりますが、由来は安政6年2月、大火災が発生、災害はその後も多発していたことから、明治6年、出羽権現に村の鎮火を祈り、村の繁栄を祈願するために、市を起こし、大祭として、旧暦10月10日を十日市として発祥しました。昔は秋の収穫など農作業のすべてを終了させて、農作物の物々交換や、各種農具や日用品、また晴れ着や足袋など、お正月用品の準備として、新米やをあきもちなどを買い求める人で賑わっておりました。またサーカスやオートバイの曲乗り、猿芝居、人形芝居といった多数の見世物や、また町のメインストリートには背中合わせで露天商が出店。昔は大人相手の商売で、瀬戸物やのこぎり、ガラス切りや反物、ズボンなどでしたが、2,3年前から暴力団全面排除に乗り出し、町民手作りの市を目指し、露天商に代わり地元商店街、各団体が、趣向を凝らしたイベントで賑わっております。
展示・バザー
時間: 46秒
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ここ数年は、浪江小学校や体育館を中心に、農産品を展示したり、産業祭り、郡内小中学生の文化展、老人クラブ作品展、各種バザーなども行われております。

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浪江町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。