川俣町の文化財 -008/029page

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水陸斎感應記の碑 (飢饉の碑)
   川俣町字寺久保 東円寺境内
 文化12年(1815),凶作の兆が現われると下役人河野猛寛が天明の餓死者の冥福を祈り,寺院を集め水陸斎(施餓鬼)を行ない災厄を免がれたという。これを記念して建てられたものである。

東円寺 水陸斎感應記の碑
東円寺 水陸斎感應記の碑

 

寺 西 代 官 の 碑
   川俣町飯坂字頭陀寺 頭陀寺境内
 文化13年(1816),小手郷内5ヵ村がかの名代官寺西重次郎の予り所となった。これによってか後世頭陀寺住職の手により境内に彼の碑が建てられている。

頭陀寺 寺西代官の碑
頭陀寺 寺西代官の碑

 

天 下 泰 平 の 碑
   川俣町字仁井町 八坂神社境内
 文政8年(1825),凶作,多くの農民が飢餓に苦しむのをみかねて,下役人多久官蔵は窮民に粟を給与しその難を救ったという。その功績を刻した碑である。

八坂神社 天下泰平の碑
八坂神社 天下泰平の碑


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