川俣町の文化財 -009/029page
小神 春日神社の五榜の掲示
〔所在地〕 川俣町大字小神字宮前1番地 春日神社
中世末期から江戸時代まで民衆に諸規則を守らせるための方法として,板に書き交通の要所や繁華な所に立てて周知徹底を図った。これを高札,立札,制札などと呼んでいた。
明治新政府は慶應4年(1868)3月,旧幕時代の高札を撤去し,五ヵ条の御誓文の発布とともに五つの高札(五榜の掲示。)を掲示させた。これは明治政府の民衆に対する最初の公式な禁令であった。
第一札は五倫(父子,君臣,夫婦,長幼,朋友)を勧め,殺人,盗みなどを戒め,第二札は徒党,強訴,逃散を禁止し,第三札はキリシタン,邪宗門を禁じ,第四札は外国交際の万国公法に従うべき旨を述べ,第五札は土民の本国脱走を禁じたものである。前三者は「定札」,永世の定法として旧幕時代のものをまったく継承したものであり,後二者は「覚札」,すなわち一時の掲示であった。重課税の緩和を図るようにみえた明治政府は政権確立とともに,民衆運動の発展を恐れ弾圧的な態度を明らかにしていった。これらの高札は図らずも明治政府の本質を示したものであった。
小神春日神社には「定三札」と「覚札」の第四札のものと,三陸磐城巡擦使のものが保存されている。これらのものは明治6年までに全て撤去されたが,それを拝殿の天井近くに掲げ保存しておいたものである。「定三札」は墨書も明瞭であるが,他の二つは風化が著しく判読が困難である。これらの高札を