川俣町の文化財 -017/029page
那として伊達稙宗の名が大きく残っている。
延享4年(1747)建立の山門をくぐり本堂正面の前庭に立つと,その左側の土蔵作り入母屋トタンぶきの一棟が回転輪蔵の建物である。この建物は間口7.28m,奥行7.28m(4間×4間)の正方形土蔵造りである。中はたたき土間になっており挌天井は明治4年(1871)3月の火災にあい焼失を免がれた焼跡が目立つ。特に天井東南方隅の部分が痛々しい。残りの部分には美しい草花の絵が描かれている。南西,南北の両限の壁際には阿弥陀如来および傅大士(註)と2童子像が安置され,土間と天井部を結び八角形の輪蔵が建てられている。高さ4.8m経4.1mほどの総ケヤキ造りで,たたき土間にすえられた石彫の整った蓮台を軸に回転し,八角形八面に設けられた書架には一切経鉄眼版(天和元年版=1681)7,334巻が納められている。この一切経は末寺である保原町仙林寺から贈られたものである。また,この回転輪蔵の内部に文化14年(1817)7月14日,高木傅云々と製作年代が記されている。寺伝によるとこの輪蔵は川俣町飯坂字山の神の初代藤原藤四郎,川俣町小神字天ケ作の五代斎藤清吉の両名によって寄進されたといわれている。
註) 傅大士は中国東陽鳥傷県の人で,一柱八面に経を納め運行自在にした回転輪蔵の考案者で,後世には建立された輪蔵の内部に大士およびその2童子像が祭られるようになった。(禅宗辞典)