川俣町の文化財 -018/029page

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小 手 姫 神 像

〔所在地〕 川俣町大字東福沢字坊ノ入山1の2 薬師堂

 薬師堂に祭られている小手姫神像で高さ14cmの小木彫像である。髪型は豊かで高いまげを結い身には唐衣をつけ,左膝を立てその膝上の手は上向けになっている。彩色ははげ落ちているが,当初は極彩色の美くしい像であったと考えられる。左膝を立てる形態の仏像はなくこれは神像に多い。古老の話によるとこの姿は糸を糸枠から糸車に移す姿勢であるという。

東福沢薬師堂,養蚕神像(左),小手姫神像(右)
東福沢薬師堂,養蚕神像(左),小手姫神像(右) 

 また,同所には養蚕神の木彫像も祭られている。この養蚕神像は高さ22.5cmの彩色像で両手先は欠失している。この地方の養蚕神は手に桑枝と糸枠(または蚕種紙)を持つものが多いので,この神像もそのような姿ではないかと考えられる。台座と像背に「文政五午年□禅山現住四十八日山籠法眼法印」との銘がある。

 堂の西北方には伝説の地,首塚,尾塚に区分された蛇塚があり,古碑や石造供養塔婆なども建てられている。堂前の広場には当薬師参道入口から移された船形の庚申像塔と並び,役小角の半肉彫石像塔が自然石を笠として建てられているのも,当地方としては珍らしい。

 

常泉寺山門と赤銅の龍

〔所在地〕 川俣町字寺前19番地 常泉寺

◎町指定有形文化財

 常泉寺は文禄4年(1595)乙未8月10日,この地に頭陀寺6世玉叟幸鎮和尚によって創建された。川俣の玉泉寺,羽田の円照寺,霊山の普光寺もこの和尚の開基である。当時は豊臣秀吉による天下統一がなり,最も布教活動が盛んな時代であったといわれる。同寺の前所は赤作から倉作入口の動橋に移った観音堂と伝えられ,寛文年中に今の地に移り清流山常泉寺と号した。


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