ふるさと川俣の名山 -013/104page
早朝全員で水ごりをとり服装を整えてお詣りに出発する。服装は着物に羽織、履き物は、わらじ、またはおそふきわらじをはく。服装が整えばごんだちを先頭にしてこもり堂の前に勢揃いして東方の花塚山に向かい、ここが第1遥拝所。2〜3枚の駒を放ってから花塚山権現に呪文「アーガイタイショウ、カースキスイショウ、ナニキミヨウチョウライ、サンゲサンゲツ、ロッコンダイショウ、ミネ二ーソワジュークニジンゾウ、ヤークシメリコーゼ、ホーガンジュッホー」を三回唱えて遥拝し、堂前から40メートル進み、部落の中央道に出る。これは、旧暦の4月8日と8月8日に行っていた。
また、昔は女人禁制の山といわれ、女性は御山堺までしか登ることができなかったと言われている。
● 昔からの言い伝え・伝説・行事
華塚山 小手五岳の一ツ池
夫当山は伊達の高山にして南は口太木幡の嶺高く聳へ西は安達太良信夫の山々北は刈田嶽伊達大木戸國見山阿武隈川の流れ蒼天にハ東海の海原金華山も只此嶺より一眼の内に雙眸の客となりぬ 衆山に秀て嶺頭嶮々として李白ハ大姥の吟に五岳をなし天台の四萬八千丈も爰に相対すべし 抑當山の草創を尋るニ日本台宗第二組慈学大師奥羽二州に群り安全の依怙たる勝地を尋此山に登りて数日護摩を修し獨予が為二するにあらす 普く塵類に及し上は天子より下は弊民に至る迄平等に利益せんとや時に紫雲たなひき天華交下りて華塚山大権現とあらわれ給ふ 仰て信すへし 済度衆生の御本意正しく当山に有干魃に雨を乞霖雨に晴を祷るに応験あらたなる事朝日の山の端を出るが如く花園の華は十二房に咲て十二因縁を示し心なき草木石の苔まても帰依し奉りて御山慕ふ人あやまりて草木を手折下れバ晴天怱雨と成返し奉れハ雲散して晴るか、れは歩を運もの引もきらす 旧暦四月八日八月八日を縁日とす
別當 神宮寺 (小手風土記)