ふるさと川俣の名山 -014/104page
「花塚山御本由併新華表(鳥居)記」には、以下の記載と歌が載っている。
花塚山の裾野は民の柴刈り、株取り場で入野(入り込んだ奥深い野)ということ。麓は桃木平といって百姓の住家が数十軒ある。その中に次郎兵衛といって昔から山の地主同然のものがいる。そのため神宮寺代々の法印様が山へ登られる時は行き帰りの休み所にしており、また山の御世話をしてきた信心深い者であるのでここに書き記しておく。あなかしこ、あなかしこ。
右御山名跡記(付けたり狂歌)
一 山頂は護摩壇岩(ごまだんいわ)
これは慈覚大師が37日間の行を行ったところである。岩間に岩つつじがある。花は白く小さく開いてまったくみごとである。
うえもなきみのりの花の岩つつじ
護摩たく跡の幣とそ見ん一、鎮護(ちんご)岩
これは右の大師が治国平天下を祈った所である。
四方のなみ治る国も静かにて
永かくし世の祈リ動かじ一、屏風(ぴょうぶ)岩
これは七尺の屏風の姿に似ていて石の裂け目に黄金色の花が咲くという。
なめらかに八千代苔むす屏風岩
今にくらせずきがね花咲く一、胎内潜(たいないくぐ)り岩(いわ)
これは婦人の平産安全を祈願するところである。
親木からとしとし子木のすばえ出て
茂り栄えたる枝もまめやか一、行者戻(ぎょうじゃもど)し岩(いわ)
これは昔から鎖が付いていて登り下りの助けとした。全くの難所である。
くさりつく岩はすとに見へけれど
思ひ入にはさわりざりけり一、中央御室岩(ちゅうおうおむろいわ)
これは花塚山大権現の御本社である。
跡たれし花塚山の花ならん
見にくる人のあらんかぎりを