ふるさと川俣の名山 -061/104page
● 昔からの言い伝え・伝説・行事
11月16日の祭礼には参拝者が列をなしたといわれている。当時中組講中では当番宿でおこもりをした。壁屋橋の下でみそぎをし、白装束に身をかためて参拝したと伝えられている。おこもり中に使用した箸を、その辺に捨てては不浄であるということで、羽山参道鳥居の手前沢に納めたと語り継がれている。現在もその場を「箸納」と呼んでいる。このしきたりは大正年間まで続いていた。また梼野地区にも講中があり、正宝院におこもりをし翌日参拝したといわれている。
(小島の歴史と文化財)酉の日 (4月上旬)
この日部落の女人達が相談して山登りをして、すしや煮物をもって浩然の気を養う。
(川俣町史資料)麓山のおこもり (旧暦11月17日)
太郎坊山で法印がホラを吹き、若者がおこもりする。
伊達郡村誌には「東は下手渡(しもてど)村に属し西南北は本村に属す嶮にして、樹木を生せず、より渓水を出す流れて小手川に入る。」と記されている。
昔、「椚山」とか「太郎山」とか言う草相撲の巨漢関取がいた。毎日稽古のために、三百田の土を背負って、羽山神社まで運んでいた。神社の後ろに小高い丘があるが、その上はもともと三百田の土であると言う。
● 名前の由来を求めて
『俗説 太郎坊山』
大むかし、太郎坊山は別名「羽山岳」と言った。山頂から少し下ったところに、羽山宮があった。羽山岳は、よく雨を降らす山だった。何年かに一度、雨雲が羽山岳にぶつかり洪水をおこし、山頂の土や草木を押し流し里の田畑を埋めてしまうことがあった。村人たちは困っていたが、羽山岳は日増しにハゲ山になっていった。
その頃、麓近くの三百田という所に柿の古木に寄りかかるように、小さな庵があった。そこには、行き倒れた旅の老僧が村人たちに救われて住んでいたが、子どもた