ふるさと川俣の名山 -062/104page
ちだけでなく大人たちにも読み書きを教えていた。
ある歳のこと、粉雪の舞う真冬の夜中、庵の戸口に捨子があった。ボロにくるまった男の赤子は声も出ないほど弱っていたが、老僧は必死に暖め、そして命を救った。老僧は天から授かった宝として「太郎」と名づけ懸命にその子を育てた。村人たちは、「太郎坊」「太郎坊」と可愛がったが老僧は太郎に学問を教え、厳しく育てた太郎が立派な大人になった頃、老僧は他界してしまった。
太郎は、長い間悲しんでいたが、そのうちある決心をした。それは、老僧の遺志を継いで村人に恩返しをすることだった。その事を深く決心した時から、太郎の身に変化がおきた。全身に精気がみなぎり、カが湧きあがってきたのだった。恩返しをするには、大雨の度に田畑を埋める羽山岳に樹木を植えようと思った太郎は、毎朝暗いうちに起きて、タンガラ(背負いかご)に土をいっぱい入れて背負い、約3キロの険しい山道を羽山岳に登った。羽山宮周辺に土はなく、大小の石がゴロゴロしていた。雨の日も風の日も雪の日も太郎は土を背負い、羽山岳に登り、土を踏み固めそこに雨風に強い松の木や雑木を植え、大願成就を祈った。太郎は20年という歳月を一日も休むことなく土を運び、木を植え続けた。
村人は、太郎の存在をいつのまにか忘れてしまっていたが、羽山のハゲ山はみごとな緑の山に変わっていた。大雨が降っても洪水が起きる心配はなくなったが、ふと太郎に気付いた時には姿はなかった。何日たっても太郎は村に帰っては来なかった。村人たちは太郎のことを思い、羽山岳を「太郎坊山」と呼ぶようになったと言い伝えられている。