ふるさと川俣の名山 -088/104page

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【川俣町体育館から山頂へ】

 川俣町体育館の東側には、グラウンドゴルフのコートがある。このコートは尾根に囲まれていて北側の尾根に上がると、本丸に向かって道が伸びている。少し急な道であるが東西に伸びる尾根にたどりつく。この尾根は、体育館の南側から登る道である。合流してからやや左の方に道をとり、尾根道を進むと本丸にたどりつく。

 帰り道は、庚申坂方面に下り、庚申坂への分岐点を直進し、畑の中を体育館を眺めながら下って行くと、水田の中の作業道に出る。まもなく体育館への進入路にたどりつき、体育館に戻ることができる。

体育館にある「小手姫像
体育館にある「小手姫像」

● 昔からの言い伝え・伝説・行事

 戦国時代の川俣は伊達氏南端の領地で、勇猛を誇る桜田右兵衛尉資親が河股城に居していた。東は相馬氏、南は岩代の大内氏と領界を接し絶えず戦乱が続いていた。このような背景のもとに、天正12年(1584)、河股城が構築されたと伝えられる。

 本丸を中心に主郭と西郭、北郭、南郭により構成される複郭山城で、急峻な自然地形を利用した縄張りにより地形によって曲輪の配置が変化している。総じて東部は急傾斜面の防御正面で、西部は平担地を抱えた家臣団家敷の置かれた搦手であり、山続きの南方が退路に当る。広瀬川と田代川を天然の堀とし、勘左堰から導水した堀により池あるいは泥田堀を配し、堅固な防御線が確立されている。東西1,300メートル、南北1,200メートルに及ぶ広大な城域である。このような巨大な城を築いたのも奥州征覇をもくろんだ伊達氏の南進の拠点として、大軍が籠城でき


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