わたしたちの梁川町 社会科しりょう - 033/086page
被害(ひがい)にあった引地(ひきち)さんの話 わたしはメリヤスの工場を経営(けいえい)していますが、昭和61年と平成10年の両方とも被害(ひがい)にあいました。昭和61年には、セーターを作る機械も毛糸もみんな汚い水につかってしまいました。後片づけに1週間ぐらい、元通りに仕事を始めるまでには、1ヶ月ぐらいかかりました。自宅(じたく)の方では、茶の間にあったテレビが、洪水(こうずい)のために流されて、廊下(ろうか)でひっくり返っていました。 おおぜいの知り合いの人たちが、後片づけの手伝いにかけつけてくれたときには、本当にありがたいと思いました。 被害(ひがい)の様子が分かる写真 (2) 水害から生活を守るために 梁川町に住む人々にとって、水害から生活を守ることは大きな願いです。2つの大きな水害の経験(けいけん)をもとに、水害を防(ふせ)ぐさまざまな工事が行なわれ、町の姿も変わりました。 改修(かいしゅう)前の広瀬川(昭和61年) 改修(かいしゅう)後の広瀬川(平成8年)
被害(ひがい)の様子が分かる写真
梁川町に住む人々にとって、水害から生活を守ることは大きな願いです。2つの大きな水害の経験(けいけん)をもとに、水害を防(ふせ)ぐさまざまな工事が行なわれ、町の姿も変わりました。