わたしたちの梁川町 社会科しりょう - 053/086page 

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C堰のおかげ
 こえた土地ですが、水不足で米が取れなかた土地に水がひけたのです。下堰は西根郷の四分の一をうるおして、14キロの長さ、堰ができてわずか5、6年のうちに田のなかったところに、水田が400ヘクタ-ルもできたのです。
 それでも山ぎわの方は水がひけません。

 上堰は残りの四分の三を耕(たがや)すために下堰の倍以上、39キロメートルの長さにわたってほられ、そのために水田はさらに950ヘクタ-ルもふえました。1ヘクタ-ルから60俵(ぴょう)(3,600kg)の米が取れるとして約8万俵(約4,800t)わずかの水で日照りにいためられながら、ほそぼそとくらしていたときと比べ、どんなにこの土地の人々の生活が豊かになったかわかります。
※1t=1,000kg

摺上(すりかみ)川・産ケ沢(うぶがさわ)の高さと西根郷一帯の土地の高さ
あぶくま川から水がひけないためすりかみ川からひいた

D堰の世話と西根神社
 堰の水はいろいろな使い道があって、この頃では水が足りないくらいです。昔は殿様(とのさま)の命令で町や村から堰の水の世話をする人がでていつもよく使われるようにしていましたが、今では組合を作ってやっています。
 上堰をどこまでものぼっていくと、飯坂にでます。飯坂町湯野(ゆの)には、佐藤新右衛門、古河善兵衛の二人をまつった西根神社があります。
 毎年新しい米をそなえてお祭りをし、私達のために努力をしてくれた方々へ感謝(かんしゃ)をしています。

堅苅(かたがり)の難所(なんしょ)(福島市湯野)
堅苅(かたがり)の難所(なんしょ)(福島市湯野)


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