社会科しりょうわたしたちの梁川町-061/084page
長さ50メートル、深さ180センチメートル、幅90センチメートルの木の樋をかける方法が考えられました。今でもその時のこんせきが残っています。
あぶくま川から水がひけないためすりかみ川からひいた
堅刈の難所
(4)堰のおかげ
こえた土地ですが、水不足で米が取れなかった土地に水がひけたのです。下堰は西根郷の四分の一をうるおして、14キロの長さ、堰ができてわずか5、6年のうちに田のなかったところに、水田が400ヘクタールもできたのです。
それでも山ぎわの方は水がひけません。
上堰は残りの四分の三を耕すために下堰の倍以上、39キロメートルの長さにわたってほられ、そのために水田はさらに950ヘクタールもふえました。1ヘクタールから60俵(360キログラム)の米が取れるとして約8万俵(約480キログラム)わずかの水で日照りにいためられながら、ほそぼそとくらしていたときと比べ、どんなにこの土地の人々の生活が豊かになったかわかります。
(5)堰の世話と西根神社
堰の水はいろいろな使い道があって、この頃では水が足りないくらいです。昔は殿様の命令で町や村から堰の水の世話をする人がでていつもよく使われるようにしていましたが、今では組合を作ってやっています。
上堰をどこまでものぼっていくと、飯坂にでます。飯坂町湯野には、佐藤新右衛門、古河善兵衛の二人をまつった西根神社があります。
毎年新しい米をそなえてお祭りをし、私達のために努力をしてくれた方々へ感謝をしています。
掲載情報の著作権は梁川町教育委員会に帰属します。
梁川町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。