社会科しりょうわたしたちの梁川町-063/084page

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(3)先人のかつやく
中村善右衛門(1809-1880)
 中村善右衛門が生まれたころの梁川は、農家の大部分の人が養蚕にたずさわっていて、蚕を「蚕殿様」(こどんさま)とよんでいました。
 生糸は高い値段で取り引きされ、梁川町の繭は、徳川幕府指定の品で質が良い悪いは農家にとっては大変なことでした。
 そのころの養蚕飼育の方法は、気候の変移に左右される清涼育という方法が使われていましたが、蚕室を暖める温暖育が理想とされていましたが、その温度管理は、人のカンに頼らなければなりませんでした。そのために失敗も多くありました。
 善右衛門はなんとか蚕室の温度がうまくはかれるものはないかと考えていました。ある日、風邪と疲れでねこんでしまいました。
 蘭方医は善右衛門の熱をはかるために、善右衛門の脇のしたに体温計をはさみました。
 「これだ。これをつかえば蚕室の温度がはかれるのではないか。」病気も忘れて叫びました。
 これをヒントにして7年におよぶ研究の結果、蚕当計を完成したのです。江戸時代の後期になると、蚕当計を使用することにより、蚕室の温度の調節ができるようになりました。それによって繭の品質がよくなり生産が安定するようになりました。

中村善右衛門のしょう像
中村善右衛門のしょう像

蚕当計と蚕の飼育方法を著した「蚕当計秘訣」
蚕当計と蚕の飼育方法を著した「蚕当計秘訣」


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