梁川町郷土史年表-004/028page

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時代区分 西歴 年号 月日 事項
中世 室町       城より米沢に移る。簗川城に晴宗の弟宗清(鉄斎)居城する。
〔伊達左衛門宗清入道伊達郡簗川に住す。因って簗川氏を称す。(世次考より)〕
1555 弘治1 晴宗、左京大夫となり奥州探題となる。
○八幡宮を伊達66郷惣社とする。
1565 永禄8 6月19日植宗丸森城にて卒。(78才)
1567 〃10 輝宗、亀岡八幡を西山より簗川に移す。
安土桃山 1576 天正4   晴宗、天神社を現在地に奉遷する。(社伝)
1582 〃10 伊達政宗簗川城に逗留し(3日間)八幡宮に参詣する。
1584 〃12 〃(十七代)家督を相続し米沢城主となる。(18才)
1585 〃13 伊達輝宗 畠山義次にとらえられ共に政宗の銃撃に死ぬ。
1586 〃14 伊達政宗戦勝祈願として簗川八幡に流鏑馬を安堵す。
1588 〃16 〔5月19日 政宗簗川八幡に御かぶと、御くそく、御たち、御さしそへ、良覚院栄真御使にて上御申候
5月20日 簗川より参候馬二疋めさせられ候
5月21日 夜入御ひかしへ御出候、其後鉄斎へ御飯被進候(以上伊達天正日記より)
近世 1591 〃19 政宗、豊臣秀吉にくだり、伊達・信夫は会津の蒲生氏郷73万石の領地となる。
1594 文禄3 秀吉の文禄検地に信達・会津の農民一揆起こる
1598 慶長3 簗川、上杉氏の領地となる。
4月、上杉景勝の臣、信州海津城主須田大炊介長義、簗川城代となる。(秩弐万石外3千3百石同心給分)
〔福島、簗川ハ伊達政宗を押る枢要ノ地に依而 本庄、須田両豪家其撰二当るもの歟……上杉文書 紹襲録巻5〕
上杉氏の臣簗川村堀江与五右衛門、保原村渡辺新左衛門、砂子堰開さくする。
1600 〃5 関ケ原の戦。伊達政宗上杉領に浸人し簗川城主須田長義を攻めるも敗走する。(松川の合戦)
江戸 1601 〃6   伊達政宗、仙台城に移る。
8月、須田長義上杉家米沢移封の節6千6百6拾6石6666に減ぜられる。
1602 〃7 須田長義、興国寺をおこす。
簗川八幡、輪王寺、他請社寺仙台に移される。
1604 〃9 砂子堰開通する。
1610 〃15 このころ、簗川村人口802、戸数181。
1613 〃18 上杉検地 一揆起こる。


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