梁川町郷土史年表-005/028page
時代区分 西暦 年号 月日 事項 近世 江戸 1615 元和1 6月、簗川城代須川長義卒。(大阪冬ノ陣参戦) 〔長義死後 家来争論有之二付、男相模秀満米沢江呼返、秀満成長之間、元和元年より宝永廿年迄 三御馬廻之内秩3百石二而其器ニ当る者を以守衛せしめらる。……上杉文書 紹襲録〕 1615 〃1 6月、上杉家臣香坂太郎左衛門宗吉、簗川城番を命ぜられる。 香坂庄左衛門氏家、城番となる。 1618 〃4 西根下堰が伊達奉行石栗将監等によって開さく始められる。 1623 〃9 3月、上杉景勝卒し定勝つぐ。 検地 1625 寛永2 須田秀満天神社宮殿を改修する。 西根上堰完成する。(信達代官古河善兵衛重吉らが五十沢まで24キロをつくる。費用5万7千両) 上杉検地 ○跡部新五左衛門 城番となる。 1633 寛永10 正月15日、山本右近広忠城番となる。 4月11日、河野孫左衛門重久城番となる。 1636 〃13 5月24日、伊達政宗死去。 1639 〃16 信達総検地 1643 〃20 9月18日、須田相模守秀満簗川城代を命ぜられる。 同月同日、石付十兵衛則吉簗川御横目を命ぜられる。 〔当役ハ寛永廿年始而命之、御中ノ間年寄秩5百石取より御撰二而当所之諸締方仕置場を司る重役なり。則福島奉行同様之役儀と相見ゆる他……紹襲録〕 1645 正保2 上杉定勝卒し綱勝つぐ。 ○この頃養蚕業おこる。 ○この頃定期市盛んとなり、簗川でも四の日と九の日に真綿、絹糸など売買される。 ○富野八幡宮社内で4月1日、2日、8月15日、16日馬市開かれる。 1658 万治1 2月12日、上杉家臣山田修理秀久(5百石)簗川御横目を命ぜられる。 信達生糸「登世糸」といわれ、京に出される。 1659 〃3 上杉、信達検地 1664 寛文4 5月、上杉綱勝卒し嗣子なく信達両郡上地となる。 簗川城代須田秀満、伊奈半左衛門に城を渡し米沢に帰る。 信達二郡、幕府代官伊奈半十郎の支配下におかれる。(1ケ年) 伊奈半左衛門、ついで代官となる。(5ケ年)