梁川町郷土史年表-006/028page

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時代区分 西暦 年号 月日 事項
近世 江戸       8月、渡辺友意阿武隈川下流を改修しはじめて舟運を開く。
1670 寛文10 国領半兵衛、代官となり信達二郡を支配する。
河村瑞軒幕命により阿武隈川を改修信達年貢米の江戸廻送はじまる。
1671 〃11 信達検地はじまる。(同年2月より延宝2年3月まで)
1679 延宝7 本田平八郎政武(忠国)大和国郡山から移り福島城主となり、信達二郡15万石を領する。
1682 天和2 2月福島領主本多政武、姫路に国替となり、信達は幕領となる。
拓殖伝兵衛、代官となる。
このときまで信達は一円支配であった。
幕府は諸国に禁奢令(高札)を出す。(5月)
福島の商人、上総屋兵吉、荒浜の武者宗三ら阿武隈川を改修する。
1683 〃3 8月、尾張徳川光友の三男松平出雲守義昌、梁川3万石に封ぜられる。
6 山田喜右エ門、富士権現を改修。(浅間神社棟礼)
○興国寺が曹洞宗24ケ寺の本山となる。
1711 正徳1 義昌、簗川を梁川に改める。
1713 〃3 5月、梁川藩主松平義昌卒し、子義方家督をつぐ。
1721 亨保6 3月松平義方卒し、義真つぐ。
1723 〃8 大洪水
〔信達両郡宝永14年このかたの洪水也、大枝村辺ニ家みちんに大浪に打くたかれ候、梁川新町江水押込、横町いせや彦兵衛店前之柱に船つなぎ候事有、新田辺迄水押揚申候……信達両郡案内記)
1729 〃14 5月、三代藩主松平義真卒し嗣子なく一旦上地となる。
8月、尾張徳川綱誠の七男松平通春梁川藩主となる。
松平主計頭通春、日光山より東照宮を勧請し、天神社内に別殿を建立。
信達両郡年貢減免大一揆起こる。(信達四大一揆)
1730 〃15 梁川藩主松平通春、尾張家をつぎ、梁川は幕領となり岡村代官会田伊右衛門預りとなる。
凶作
1731 〃16 荒川権六郎、梁川代官となる。(梁川川俣陣屋)
早害(註)1
このころ梁川村の人口1983(男1164、女819)戸数450
信達両郡浮役臨時小物成免除願(11月)
1732 〃17 麦作不良、夏秋作風害、早害(註)2


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