梁川町郷土史年表-008/028page
時代区分 西暦 年号 月日 事項 近世 江戸 1784 天明4 春諸国餓死するもの多し。 3月29日夜四ツ時、梁川西町喜六と申者火元で北町大和屋まで両側不残焼失 田畑作中作 1785 〃5 1月より4月まで雨ふり、5月6月旱損(白根村文書) 1786 〃6 代官水谷祖右衛門梁川陣屋にて支配 1787 〃7 米価高騰 開府以来の江戸大騒動(5月) 1788 〃8 この年幕府巡見使に随行して、天明の飢飢饉にあえぐ東北・北海道を視察した古川古松軒のつづった紀行文<東遊雑記>の一節〔四日小総木出、梁川に止宿。この所は御代官の居所にて、当時は水谷祖右衛門殿支配なり。町は大概宣しく絹を織る家多し。この辺の土地宣しきゆえ、一反に米出づること豊年には三石、中年には二石余、さして肥も用いずといえり。6、7年以前の寅卯両年の飢饉に伊達郡飢渇して死亡殊に多かりしといへり。平生米穀たくさんなるべし、人びと心得あるべきことなり。名所の広瀬川は梁川の町を流れて阿武隈に入る。此川の名さへ広瀬の所得て魚もたのしむ心をそしる〕 1790 寛政2 梁川陣屋附旧領平藩に戻り安藤対馬守信成(信明)支配。 1796 〃8 凶作、稲実らず米価高騰 梁川村田口留兵衛、火蚕法(火力育温暖育)はじめる。 ○この頃、梁川の蚕種、掛田の蚕糸、川俣の機織に分かれる。 1798 〃10 米高値、信達百姓騒動 1803 享和3 平藩領梁川附2万7千石は濃州三州にて引替えとなり梁川など幕領となる。(11月) 1804 文化1 梁川など、桑折代官竹内平右衛門支配。 1807 〃4 松前志摩守章広、松前福山より国替となり梁川附9千石を領し梁川へ移封される。(士族78名、足軽33名。新北海道史) 1808 〃5 章広、梁川御所狭隘なので亀岡山(梁川旧城)へ築城する。 1821 文政4 梁川藩主松前章広、松前に復し梁川藩は幕領となる。 1822 〃5 代官竹内平右エ門、梁川本陣屋にて支配。 (2月 梁川浅川両陣屋) 1825 〃8 凶作、蚕大不作、田方凶作、天明3年同様の凶作 1833 天保4 大凶作、勧農筋取締申渡(2月)梁川代官所 桑苗養蚕禁止令(8月)桑折代官所 1834 〃5 梁川は代官寺西蔵太、辻留次郎当分支配。(12月) 1835 〃6 凶作 代官島田帯刀支配。(梁川本陣屋)