梁川町郷土史年表-009/028page

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時代区分 西暦 年号 月日 事項
近世 江戸       梁川大火 北梁川大半焼失
砂子堰泉原村片貝山に新堰水楊げ口と陰溝を掘さくする。
1836 天保7 大凶作
1837 〃8 5月、代官野村彦右衛門支配。(川俣本陣屋)
1838 〃9 田口留兵衛、温暖蚕育法完成
1839 〃10 京の加美俊輔天神町に学問所をつくり明倫館と名づけ子弟60人に四書五経を教える。
1842 〃13 3月15日大霜桑被害
9月、御料所改革取締触(梁川代官)
1843 〃14 5月、島田帯刀桑折代官となり梁川は当分預りとなる。
1844 弘化1 2月、代官福田八郎右衛門支配。(川俣本陣屋)
1847 〃4 正月、代官石原清左衛門支配。
梁川村中村善右衛門、養蚕用寒暖計(蚕当計)発明
1849 嘉永2 3月、代官藤方彦市郎支配。
中村善右衛門、蚕当計秘訣刊行。
1851 〃4 信達二郡百姓一揆
1853 〃6 7月、藤方彦市郎桑折代官となり梁川は桑折出張支配となる。(梁川附は四ケ村高五千九百石となる)
掛田に小作人の集まり出来る。(救惣連)
1855 安政2 3月、荒井清兵衛梁川代官となる。
1856 〃3 12月蝦夷地の替地として梁川村など松前藩の飛領となる。
1月松前藩梁川奉行役人、蠣崎重郎右エ門他12名。
1858 〃5 梁川村中井閑民、養蚕精義を著す。
1859 〃6 横浜など三港開かれ、生糸、蚕種、茶など輸出、綿製品などを輸入する。
1861 文久1 8月4日梁川大火、市街概ね灰燼、天神社、明倫館類焼。
梁川村中村半三郎ら悪種販売を防ぐため養蚕講を組織して蚕種銘鑑を著す。これによれば蚕種業を営む者梁川村が最も多く信達253名中梁川村58名を数う。
1863 〃3 諸国に「ハシカ」流行、梁川でも50人ほど死亡。
1864 元治1 大霜。
阿武隈川、広瀬川、大水で被害甚大。
1866 慶応2 4月、松前崇広病没し、甥徳広(志摩守)松前藩主となる。
信達騒動一揆打こわし(世直し一揆)信達180ケ村で5万人が参加(6月15日〜20日)
近代 明治 1868 明治1 1 信達二郡 百姓一揆
7 戌辰の役 仙台の藩士若生文十郎ら梁川に駐留
8・1 仙台農民梁川に侵人、放火により大火となる


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