努力の人信夫山-003/008page
った。
ところが、ここでまたしても大事件が起こった。せっかく幕下に進んだのに、兵隊として戦争にいかなければならなくなったのである。
本間は、兵隊として朝鮮に渡ったが、一年もたたないうちに戦争が終わってしまった。しかし、本間ら兵隊は、これで安心できたわけではない。もし、敵の兵に見つかれば、捕りょとして一生働かされることになるかもしれない。そしたら、もうすもうどころではない。
そこで本間は、戦争が終わった以上もう朝鮮にいる必要はないと考え、仲間と日本へ向かうことにした。このとき、本間の頭の中は、もう一度土俵に上がってすもうを取ることでいっぱいだった。食べる物もなく、何日もはだしで野山を歩き続けた苦労の末、昭和二十一年、本間は、やっとのことで日本に帰り着くことができた。
その年の十一月、三年ぶりに幕下力士として再出発した本間は、シコ名を「吾妻山」と改めた。そして、この場所と次の場所を勝ち越した吾妻山は、十両へと昇進した。これには、郷土の人々も大喜びし、幕内への期待がいっそう高まった。
しかし、初めての十両で、吾妻山は負け越してしまった。そこで、再び幕下に落とされてしまい、この後、幕下と十両の間を三回も行ったり来りし、周囲の人々から、「吾妻山の力も十両止まりか。」と思われるようになった。だが、吾妻山は、幕内をめざしてもくもくとけい古を続けていた。