努力の人信夫山-005/008page

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したりと、工夫をこらしながら、朝から夜遅くまで一日も休まずにきびしいけい古を続けた。
 また、小さな体で大きな相手を倒すには、相手の力士を十分研究しなければならないと考え、それぞれの力士の特ちょうやくせを細かくメモして、対戦前には、このメモをもとに作戦を考えた。時には、一晩中作戦を考え続けることさえあった。
 こうした努力によって、信夫山は、幕内での番付を段々と上げていった。また、特に活躍した場所では、二度の技能賞をかく得した。そして、昭和三十年には、すもうの世界に入って十五年目にして、ついに三役への昇進を果たした。新小結信夫山の誕生である。
 小結としての役目を十分に果たした信夫山だったが、部屋が小さかったために、なかなかその活躍をみとめてもらうことができなかった。いい成績を残しても賞がもらえなかったり、自分がなれると思っていた関脇に大きな部屋の力士がなってしまったりと、何度もいやな思いをさせられた。勝ち越したのに、格下げになってしまったこともあった。
 こんなすもうの世界がいやになり、「やめてしまおう。」と考え始めていたある夜、夢の
イラスト

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