努力の人信夫山-006/008page
中に死んだ母親が現れた。初めは力士になることに反対していた母親であったが、夢の中ではこんなことを言ったのである。
「栄、すもうの世界は、自分で決めて進んだ道だろう。こんなことで逃げ出してどうする。石にかじりついてもがんばらなければ…。」
次の日から、信夫山はさらにもうげい古を重ねた。そして、場所ごとにそのけい古の成果を発揮して勝ち越しを続け、横綱をたおして金星も上げた。こうした信夫山の活躍に、殊勲賞や敢闘賞が与えられるようになった。だれもが、信夫山の強さをみとめないわけにはいかなくなったのである。
こうして、昭和三十三年、信夫山は念願の関脇に昇進したのであった。このとき、信夫山は三十三才、力士になって十八年の年月が流れていた。
お祝いに集まった人々が帰った後、信夫山は一人で涙を流した。関脇昇進までの道のりは、信夫山にとって、それくらい長くきびしかったのである。
関脇として二場所勝ち越した信夫山に、大関昇進の期待が高まった。しかし、三十才をと