霊山町の文化財 -005/023page

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「霊山」………かつて山岳仏教の拠点

 その昔、本町の東部にそびえる霊山の峰々には山王21社を勧請し、ふもとには3,600にもおよぶ僧坊(建物)があったといい、大規模な山岳寺院が形成されたといわれます。以来、470年余の長い間、この地は東北山岳仏教の拠点として隆盛を極め、平泉の北奥文化に対して南奥文化の中心地として東北の一大文化圏を形成しました。
 今となっては、当時の栄華を臨むことはできませんが、山中に残る礎石や遺跡から出土した県指定文化財の青磁皿、また、ふもとに再建された霊山寺の宝物などに、昔日の栄華の一端を垣間見ることができます。このことは、13〜14世紀の間に霊山寺が栄えたことを裏付けるものであり、中国からの舶載品が、東奥の一山寺にもたらされていたことは、霊山寺が単なる山寺ではなく、中央あるいは鎌倉等と密接な関係があり、都にも知られた大寺院であったことを物語っています。(「霊山町史」「霊山寺縁起」などによる)

霊山寺復元画
霊山寺(霊山城)復元画(梅宮茂原案・中西立太作)

538  仏教が日本に伝来
645  大化改新
859  円仁(慈覚大師)霊山寺を建立
984  霊山寺を古霊山より霊山(現在の霊山寺跡)に移転
1331 元徳供養石塔建立
1347 霊山城落城(霊山寺=寺院城郭焼失〜八月)
1401 伊達氏が霊山寺を大石村宮脇に再興
1532 伊達稙宗より大石他七ケ村霊山寺へ寄付される
1602 霊山寺(宮脇)野火により消失
    霊山寺を移転(倉波・現在の霊山寺)
1665 「霊山寺縁起」著わされる
1817 霊山碑建立

この年表は、「霊山町史」、「霊山寺縁起」 及び霊山町史資料集第一集「霊山城跡・ 霊山寺跡」を参考として作成


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