りょうぜん 小学校社会科資料集 -044/056page

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蚕業(さんざょう)につくした人々(ひとびと)

佐藤友信(1718〜1786)
佐藤友信
 掛田の蚕種家(さんしゅか)である佐藤家の8代目として生まれました。
 父親の正信(まさのぶ)ののこしたやく50さつの養蚕帳(ようさんちょう)(蚕の育て方や さまざまなことがらについて書いてあるもの)をもとにして、1766年に、「養蚕茶話記(さわき)」を書きました。この当時では、最高の養蚕についての本でした。日本でも一番古い養蚕の技術の本と言われています。

安田利作(1847〜1896)
(むかって左)
安田利作
 1847年に、掛田村の商家に生まれました。利作の家は、まわりの村から生糸や絹(きぬ)を買い集めて、他の地方へ売ったり、蚕(かいこ)の種を作って売ったりする大きな店でした。 利作は外国へも生糸を輸出(ゆしゅつ)しようとしましたが、糸の取り方が不完全(ふかんぜん)でうまくいきません。利作は何回も失敗(しっぱい)しながらようやく、「折り返し糸」をつくり出しました。「掛田折り返し糸」と名づけて、外国にも輸出(ゆしゅつ)しました。さらにたくさんの人びとと力を合わせて、さまざまな展覧会にも生糸を出品しました。 第1回全国蚕糸共進会で、利作をはじめとして18名が入賞しました。
 これにより、掛田はますます有名になりました。利作は、その時その時の生糸の値段(ねだん)を調べるためにわざわざ横浜から「内外生糸商況日報(しょうきょうにっぼう)」をとりよせていました。そして、いつ売れば高く売れるのかを研究していました。利作が中心になって建(た)てた「掛田養蚕伝習所(でんしゅうじょ)」は、多くの人の協力で、全国のたくさんの人に養蚕の技術(ぎじゅつ)を教えました。


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