りょうぜん 小学校社会科資料集 -048/056page

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9 濫傷武楽(らんじょうぶがく)
(町指定文化財(まちしていぶんかざい)〜無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい))霊山神社(りょうぜんじんじゃ)
濫傷武楽
 南北朝時代(なんぼくちょうじだい)、北畠顕家(きたばたけあきいえ)は、義良親王(のりよししんのう)と霊山城(りょうぜんじょう)へ入る時 に、奉納(ほうのう)した剣の舞(つるぎまい)を初めとし、太鼓(たいこ)にあわせ、太刀(たち)を空 へかざして進む古式(こしき)ゆかしい舞(まい)です。

10 関東(かんとう)案山子舞(かかしまい)
(町指定文化財(まちしていぶんかざい)〜無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい))愛宕神社(あたごじんじゃ)
関東案山子舞
 今(いま)から数百年(すうひゃくねん)もむかし、たくさん住(す)んでいたいのししが、 田や畑をあらしたので、こまった農民(のうみん)が弓(ゆみ)でいのししを 退治(たいじ)しました。たいじされたいのししをあわれに思い、 供養(くよう)のために猪頭を作り、おどったのが始まりです。

11 下大石獅子舞(しもおおいしししまい)
(町指定文化財(まちしていぷんかぎい)〜無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい))大石(おおいし)
下大石獅子舞
 江戸時代(えどじだい)のころ、伊勢(いせ)まいりの帰りに京都見物(きょうとけんぶつ)をした 大槻三郎兵衛(おおつきさぶろうべえ)が、子どもへのみやげに、三匹(さんびき)の獅子頭(ししがしら)を買 い、祇園(ぎおん)の神主(かんぬし)に獅子舞(ししまい)を習って帰り、この舞(まい)を若者に教え て奉納(ほうのう)したのが始まりとされています。

12 北又獅子舞(きたまたししまい)
(町指定文化財(まちしていぶんかざい)〜史跡(しせき))大石(おおいし)
北又獅子舞
 今から160年ほど前、大橋甚兵衛(おおはしじんべえ)が秋田(あきた)で孫(まご)のおみやげ に山車人形(だしにんぎょう)を買い、獅子舞(ししまい)を教わり帰りました。集落(しゅうらく)の若者(わかもの) にこの舞(まい)を教えて、近くの貴船神社(きふねじんじゃ)にまつる神楽(かぐら)にあわせ てかんせいさせたそうです。


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