りょうぜん 小学校社会科資料集 -047/056page
5 三乗院山門(さんじょういんさんもん)
(町指定文化財(まちしていぶんかざい)〜建造物(けんぞうぶつ))三乗院(さんじょういん)
1860年宇都宮(うつのみや)・後藤源治(ごとうげんじ)の手により、山門(さんもん)は本格的(ほんかくてき)な切妻 式瓦葦六脚門、柱(きりつましきかわらあしろっきゃくもん)(はしら)の根巻金具(かなぐ)は銅(どう)で作られた雌雄(しゆう)の唐獅子(から じし)、細(こま)かな細工(さいく)の建築物(けんちくぶつ)です。6 元徳供養石塔(げんとくくようせきとう)外
(町指定文化財(まちしていぶんかざい)〜考古資料(こうこしりょう))霊山寺(りょうぜんじ)
阿弥陀(あみだ)さまを信(しん)じ、極楽浄土(ごくうくじょうど)へ往生(おうじょう)するという願(ねが)いのつ たわる石塔(せきとう)で、7基(き)あります。元徳(げんとく)3年(1331年)に建て られた供養塔(くようとう)もあります。7 霊山碑(りょうぜんひ)
(町指定文化財(まちしていぶんかざい)〜考古資料(こうこしりょう))日枝神社(ひえじんじゃ)
1817年、白河藩(しらかわはん)・松平定信(まつだいらさだのぶ)が建(た)てました。南朝(なんちょう)の北畠顕家(きたばたけあきいえ) の忠節(ちゅうせつ)をたたえたものです。「霊山」(りょうぜん)が史跡(しせき)としてはじめて 紹介(しょうかい)されました。8 濫觴神楽(らんじょうかぐら)
(町指定文化財(まちしていぶんかざい)〜無形民俗文化財(むけいみんぞくぶんかざい))鈴嶽神社(すずたけじんじゃ)
南北朝時代(なんぼくちょうじだい)、幼い親王(しんのう)をなぐさめるため、北畠顕家(きたばたけあきいえ)が家来(けらい) に刀(かたな)を抜(ぬ)いておどらせたのがはじまり。後に戦勝祈願(せんしょうきがん)(い くさでてがらをあげる)に鈴嶽神社(すずたけじんじゃ)に奉納(ほうのう)されたものが、 今につたえられています。