つきだて−社会科しりょう−-053/067page

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2.交通の発達

(1)軽便鉄道
 模型機関車(もけいきかんしゃ)のような軽便(けいべん)鉄道が、今から78年ほど前の大正4年から昭和6年までの12年間、 川俣(かわまた)から掛田(かけだ)の間を走っていました。
 線路はほぼ今の国道に沿っていて、駅は、岩代(いわしろ)月舘(今の月見橋の近く)と下手渡にあり、こ こでは貨物をあつかっていました。停車場は御代田と舘の腰にあり、無人(むじん)駅でした。
 走る回数は、午前二往復(おうふく)、午後二往復。
 経営者(けいえいしゃ)は、伊達(だて)町に本社をおいた信達軌道株(しんたつきどうかぶ)式会社であり、福島から伊達を通って湯野(ゆの)へ行く もの、伊達(だて)、保原(ほばら)、桑折(こおり)か梁川(やながわ)へ行くもの、掛田(かけだ)、月舘、川俣(かわまた)へ行くものと、大きく三つの線路 をもっていました。スピードがあまりなく、足の速い人はかん単に追いつくことができて、よく とび乗ったそうです。

軽便列車の初乗り風景
〈軽便列車の初乗り風景〉
 多くの人々が見物に来ました。

東北線との立体交差
〈東北線との立体交差〉
 長岡−湯野間では東北線とは立体交差でした。この写真は軽便列車のすがたがよく表れています。
東北線との立体交差


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