つきだて−社会科しりょう−-063/067page

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月舘町に伝わるむかし話
 小手七ツ森の最高峰(さいこうほう)女神山は、標高(ひょうこう)599メートル。眺望(ちょうぼう)はすばらしく、伝説(でんせつ)の数多い信仰(しんこう)の山です。 機織(はたお)りの神様小手姫(ひめ)の伝説は特に有名で、広く語(かた)り伝えられています。

小手姫伝説

小手姫伝説
 ずーっとむかし、およそ千四百年も前のお話です。時の都(みやこ)・大和朝廷(やまとちょうてい)に、小手姫というたいそう美しいお姫様がおりました。小手姫はやがて、崇峻天皇(すしゅんてんのう)の妃(きさき)になりましたが、権力争いにまきこまれた崇峻天皇(すしゅんてんのう)は、蘇我馬子(そがのうまこ)に暗殺されてしまいます。息子の蜂子王子は、東国(今の福島以北)で、新しい国を造(つく)ろうと決意(けつい)し、母・小手姫に別れを告(つ)げました。見知らぬ国へ旅立(たびた)つ蜂子王子に小手姫は、いつの日か 必ず東国(とうごく)へいくと約束(やくそく)しました。崇峻(すしゅん)天皇の喪(も)があけると、小手姫は娘・錦代王女(にしきでのおうじょ)、父・大伴糠手(おおとものぬかで)とともに、東国へ出発しました。都(今 の奈良(なら))から常陸国(ひたちのくに)(今の茨城(いばらぎ))までは船で、そこから久慈川(くじがわ)ぞいに陸路(りくろ)を北へ進む、長く辛(つら)い旅でした。
 女神山の山頂(さんちょう)で小手姫は、しばらくここにとどまり、蜂子王子の消息(しょうそく)をたずねようと心に決めます。小手姫は、都で習った機織(はたお)りの技術(ぎじゅつ)を村人たちに教えました。幸(さいわ)いこのあたりは山桑(やまくわ)が多く蚕(かいこ)もよく育つのです。村はだんだん豊(ゆた)かになっていきましたが、小手姫は蜂子王子に再会(さいかい)できぬまま、その生涯(しょうがい)を終(お)えました。
 小手姫は女神山に、そして蜂子王子は出羽三山(でわさんざん)にまつられ、生き別れとなった悲しい母子の話は今も人々に語り伝えられています。

小手姫伝説


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