月舘町伝承民話集 -019/200page

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大徳坊の足あと

 むかしむかし大昔、今から何千年も昔の事です。そのころこの地方は霧が窪といわれていました。月館の古屋の入に大徳坊山というところがあります。この山の頂きと糠田の東塚山(経塚山ともいう)の山上に一坪ぐらいの窪みのあるところがあります。土地の人々は大徳坊の足あとだといっています。そのころ、ここに世にも珍しい大男の大徳坊が住んでいました。雲をつくような大男で時々きげんが悪い時には、大きな足を広げて経塚山と大徳坊山とにまたがって太陽の光をさえ切ってしまうので、この村一面がうすぐらくなって稲が実らずお米がとれないので農民は、大変困ったとの事です。

 こうした大徳坊のやり方を何とかやめさせようとしたのですが誰の言う事もきかなかったといいます。しかし大徳坊は少しきげんのよい時は村びとが刈り取って来た稲の穂をこき落したりして笑っていました。また大きな手で実の入らない稲穂をもんで軽いもみがらを空に吹きとばしたりしていました。そのもみがらがうず高く積った所が大糠塚で少し積ったところが小糠塚だといわれています。大糠塚は今東北撚糸の南の方の小高い丘で、その西の方に小糠塚が出来ているのです。その後、大徳坊も年をとりましたので、どこへ行ったのか村びとの知らないうちに姿が見えなくなりました。

 それからはこの村によいお米がとれるようになり、霧が窪という地名は無くなって糠田村となったといわれています。しかし大徳坊の足あとだけは、今も残っているのです。


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