月舘町伝承民話集 -026/200page

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水 は 清 く し て

 その頃の月舘は毎月きまった日に市が立っていた。今から200年程昔のことである。

 月舘は保原と川俣の中間にあたり、又福島と相馬との交通の要地になっていた。

 この市には相馬から運んでくる塩や魚や海産物のほか、この地方の産物である野菜や果物を始め、農具や農家の日常使ういろんな品物を売買したり交換したり仲々賑やかだった

 殊にお祭り近い市とかお盆や正月の市日には村人だけでなく遠来の客も大勢集って、一層にぎやかな有様 だった。

 そして、九州三池から立花藩が下手渡に移って釆て、天平に陣屋を構えてから月舘は一段と繁栄した。

 月舘の旧家で豪農のSさんは近郷近在に名の知られた篤志家であった。Sさんの先祖は関ケ原合戦の或る武将の下臣だったといわれていた。此の地に住みついてから久しくSさんまで既に十代を数えていた。Sさんは多くの土地を持ち、十数人の人を雇って村随一の豪華な生活を送っていた。町で開かれる市場の管理もSさんの大きな仕事だった。

 又Sさんは神仏に対して信仰心も厚く、神社やお寺等にも数多く寄進を行い、村人から尊敬と感謝の念を捧げられていた。

 Sさんは遂に自らの土地を提供してお寺を建て清水寺と名付けて信仰生活を送っていた。愛宕山の一角に建てた清水寺はその麓を流れる小手川(現在の広瀬川)の水の様に清く美しく永く心に聖を求め、仏の道を


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