月舘町伝承民話集 -027/200page

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究める意味で命名したといわれている。

 清水寺には附近の村から信者の善男善女が参詣し、法印様の話に身も心も救われていた。

 それから間もなくだった。Sさんは代官所から呼び出された。そして清水寺建立のいきさつなどをたずねられた。代官はSさんの誠心を汲みとってくれた。然し清水寺という字は京都にある清水寺と同じなので江戸の役所に出て申開きをするように仰せつけた。

 Sさんは帰宅してから、家族や親戚の人たちと相談して一日も早く藩の役人たちの誤解を解くため江戸に出て身のあかしをたてようとした。

 寛政の初めの秋であった。去年の春、Sさんが福島の市場に行った時、見なれない12, 3オの娘が途方にくれて迷っているのを見かけ、自分の家まで連れて来て親切にいたわっておいた。娘は雇人らといっしょにSさんの家で家事の手伝などをして甲斐がいしく働いていた。何か事情があるらしく誰にもその真相を話さなかった。Sさん一家は、その娘のことについて別にくわしく追求をしなかった。このたび清水寺の一件で江戸の藩邸に出頭するための準備についても、この娘はよく手伝って仕度をととのえてくれた。

やがてSさんは家族や親戚の人たちに見送られて江戸へ旅立った。Sさんは複雑な心境だった。―『もし清水寺という寺名についてお上におとがめがあったら……しかもどんな処罰を受けるかもわからない…』と考えると自信と不安とが交錯して限りなく心配だった。

 その当時は江戸までは一週間の旅だった。Sさんは二本松を過ぎ須賀川に宿り、次は白河を越えて大田原へさしかかろうとした時に一つの胸さわぎを覚えた。


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