月舘町伝承民話集 -030/200page
Sさんは真実のことを打明けました。そして、今回の江戸出府は清水寺の名つけのことで、藩と幕府に申開きのためだと語り続けました。
男はSさんの話をきいてほんとうに喜びました。男は上野の寛永寺に関係している人だった。そのため、清水寺の命名については寛永寺貫主の取りなしで藩の役人も幕府の要人皆Sさんの誠心が理解されて、沢山の褒美をいただいて帰国の途に着くことになった。
Sさんが帰国後、まもなくその娘は江戸に帰り、清水寺はこの噂によって益々繁栄して行った。
しかし時の流れによって世の姿も変るのも早かった。Sさんが間もなくこの世を去ってから清水寺も衰え住職も居なくなり、遂に廃寺になってしまった。
小手川の流れは昔のままに清く、愛宕の山の姿はそのままであるが、清水寺の跡さえ今は定かではない。
今、糠田屋の後方、畑になっている処がその清水寺の跡であると知っている人は余りすくない。
唯、Sさんの頒徳碑だけが古舘の麓に苔むしてさびしく建ってある。