月舘町伝承民話集 -031/200page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

大道久馬の綿花栽培

 今から150年ほど前、大道久馬という人がひょう然と下手渡村にやって来た。どこの国の、どこの生れか知る人は誰もいなかった。しかし久馬は黙々として農業にはげみ、殊に陸羽地方で栽培していた綿の栽培 をとり入れ村民を指導していた。久馬は元武士であったが、何か感ずるところがあって武士を捨てて、この 地に帰農しまじめな百姓となって働いた。下手渡の蟹沢の地に俗称大道久保というところがある。久馬はこ こに屋敷を構えておった。現在の字名「作の内」は久馬の屋敷の柵の内であったといわれている。又お釣屋 敷とか長蛇屋敷などは久馬の別宅(別荘)であったという。久馬は馬が好きでこれを飼い、その飼料として麦を作ったという。この村での大麦・小麦の作付けの始めだともいわれている。

 久馬が栽培した綿花は、明治の初めまでこの地で作られ、村の人々の生活をうるおすことになったという。 時は去り、社会は大きく変っても、この地方の産業開発を思う時、大道久馬の名はながく下手渡の地から消 えないであろう。

 しかし久馬のその後は誰も知る人がいない。

 また、その墓も下手渡には見当らない。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は月舘町教育委員会に帰属します。
月舘町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。