月舘町伝承民話集 -084/200page
生き埋めと薬師如来さまのこと
徳川時代も中期を過ぎた頃という。御代田村に仙台から来たという婆さんが一人住いをして暮していた。
それから数年後のある年、突然仙台からという一人の若武士(さむらい)がこの婆さんを探しあててきた。武士は
「この婆あは、昔仙台で人を殺し、私が仇とつけねらって長い間探し求めてきた者だ。証拠は、同姓同名それに この通りの人相書にも似ており、年格好も全く同じだ。これは仇に相違ない、直ちにこの場で打果す」
とい うことである。婆さんは全く身に覚えのないこと、飛び上らんばかりに驚き
「私の生立ちはかかくしかじかで仙台から来たことは確かですが、今は主人にも不幸にして死別れ一人ぼっちの暮しをしておりますが、決してお武家さまが探しておられるような仇などではありません」
と幾たびも繰返しながら言訳につとめた。
しかし武士は頑として聞き入らばこそ、打果すから刀をとって立合えとなおも鋭くつめよるのでした。婆さ んもその鋭い剣幕に堪えきれず涙を流しながら
「私は決して仇を持つような者ではありませんが、お武家さ まがどうしても私を仇だとおっしゃるなら、打てば気もすみましょうし、晴れて仙台の殿様のもとえも帰れ ることでしょうから、どうせ私も老い先の短い生命どうにでもして下せい」
しかし武士は
「武士は抵抗もし ないものは殺せぬ」。
婆「それでは私めを生き埋めにすればよい。その代わり私の一つの願いも聞いてもらい たい。私は常日頃から薬師如来さまを信仰しているので、如来さまを拝みながら死にたい」
という。武士は これを聞き入れ、いよいよ生き埋めにかかった。婆さんの入った箱には、串柿が一連(約60個)と水、念仏を唱えるための鉦そして一本の節を抜いた竹