月舘町伝承民話集 -150/200page

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見ると大体62、3才か、と推定しているが、峰子皇子の身分、母の小手姫妹の錦代皇女、祖父大伴糠手 の小手郷に於ける住居、万民渇仰の中に亡くなられた年令、月日、場所、御墓の位置等も詳しく語られたろ うし、皇子峰子の遺法も話し合われたであろう。羽黒修験道から見ても役ノ小角の果たした役割は非常に大きい。現在も羽黒合祀殿の向って左の客殿には能野大神(小角が勧請した)が祀られ末社として建角身大神と して役ノ行者小角が祀られているのを見ても、三山との関係の深さがわかるのである。

 こうした繋がりから見てくると役ノ小角の女神山に登ったのは、大和の皇后小手姫のお墓があるからであ って、蜂子皇子の存生中に果せなかった母小手姫達の墓所と鎮魂の祈りを捧げるためであったと推察してい る。そして小手姫の数奇な運命の悲惨と遺された偉業も行雲流水にも似た流転の終点となった一ツの墓に、 その御霊よ安かれと祈りながら、頂上の大石そのものを小手姫の御霊代として水雲山大明神と、お祀りしたのであると考えているが、この大石に登れば必らず雨が降るのも高貴な御魂を汚す心ない仕業に姫自からが涙で浄められる故であろうか。

 筆者は小手姫の御陵の大石を御魂代としたのも役ノ行者小角の水雲山大明神の御魂代とした大石も、共に 小手姫の御霊を祀られたものであると、考えている。


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