月舘町伝承民話集 -152/200page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

て東の国にお出でになって月山に御鎮まりになったように記憶しているが、然し筆者は昔の人たちが山形県 の月山と宮城県の刈田山と福島県の花塚山とを三人のお姉妹に結びつけて考えた根拠は何なのだろうか。花 塚山が一番上の姉さんだったという話の中に近々の花塚山を身びいきした。あるいは月山の月読命の信仰が 羽黒山、湯殿山、三山の奥のお山としての尊崇が一番下の妹神であり乍ら月山に鎮座する知恵と温容を連想して選の説話となったのではあるまいか。

 高橋嘉久吉編「川俣町史資料」の中に卿社春日神社別当として昔神宮寺という寺格の高い寺があった事は 誰でも知っている事であるが、この神宮寺が花塚山の別当であった事が記されている。川俣町を中心として 最も寺格の高き神宮寺が別当として花塚山に奉仕したという事実はそれだけ花塚山の存在価値を信仰の上か らも充分認めていたからではなかったろうか。

 昔の人達がこの話しを聞かせる時、花塚山とはいわなかった。お花塚であって宮城県の刈田山は、お刈田 山であり、月山は奥の御山の言葉で表現した。その言葉には親しみと尊敬の心がうかがわれるのである。だ がわれわれには、月山と刈田山と花塚山に関しては前述の様な事しか知っていない。例えば山形県と宮城県 に、むろんその当時県名、県境などはある筈もないし、東国として奥羽の地としての視点からではあったろ うが、三ツの山の相関性を作り出した根拠は出羽三山信仰の基盤とも見られるのではないだろうか。月山、 羽黒山、湯殿山を奥の三山と呼びなしているこの地方の信仰者は更に身近に月山を中心に刈田山と花塚山を 選び神を祀り出羽の三山になぞらいた三ツの姉妹の山としての信仰の対照ではないだろうか。

 この事についてご研究になられている方がありましたら、ご教示賜わりたく切にお願い申し上げます。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は月舘町教育委員会に帰属します。
月舘町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。