月舘町伝承民話集 -158/200page
などて敵に発見されんや各々方の考や如何に」樋口 「我君にしては敵に命惜しみて落ちたりと潮けらるるを 恐れ名を重んじ節に殉ぜんとの御心は臣の意を得たり然りと雖我家は容易く失ふ可からず一時の名を好みて 死を撰びたらんには先祖に対し申訳なしこの期に際し卑怯に似たれども再挙を目ざして一時の恥を忍びてこ そ最善の方策と存じ候へ」原「樋口殿の御意見我意を得たり我もしか思ふなり幸に相馬は伊達とは年来の仇 敵仙道悉く伊達に屈せしに独り彼靡かず恰も我宗と相通ず我れ相馬へ投ずるは名分立ちて相馬必ず我と盟せ ん全くこの計は万全なり我君早く考慮召されよ」周防「丹波其方の考もそこにあるのか」丹波「君の御意に 反し一時の命を保たん事心苦しく存じ候へ共屈するも伸びんがため我君御心を決して然るべし」周防「我は 最後まで一兵の存する迄力闘して城を守り名を全うせんとは存ずれ共斯くしては臣下を思ふの情にあらず臣 は主の為に命を捧げば主たるもの臣下を思はねばならぬ、後図を計るは君臣一致両全の方策なり然りとは申せ洵に遺憾なり」丹波「御推察申します」周防「鳴呼天命なる哉時の運とは云へ乍ら我家は彼れ伊達家と共 に元弘、延元の昔我祖手渡八郎義為伊達四十一騎の強勇無隻の驍将この館山の城に義兵を挙げ南山の帝に忠 勤を擢んで辱けなくも義良親王を擁して東北の兇賊を討平すすべく霊山城に立籠れる将軍北畠顕家郷に従ひ 城を死守し将軍上洛後、後顧の患なからしむ可く奮闘遂に命を城と共に霊山の露と消え果て子孫代々正義の 兵を擁して地の利を得ざる此館山の城に社稷を保つ一百有余年、奥州の大半を従ふ伊達へ靡かず今に至り命 惜みて逃れたりと嘲笑されん事、千秋の恨事其方共余の心情を思へ」周防は言ふに堪へず立ちては坐し幾度 か嗟歎稍々久しうす、一同声なく鳴咽す。周防「さりとて恨重るは伊達政宗我力及ばずして彼に敗るるも何 時か此の恨をはらさで置く可きか」 と慷慨数刻。周防「然し嘆くまじ全く其方共の勧めに従い再挙を図る事