「ふるさとの小径を行く」 -004/168page
録はありませんが、小手六十三騎の一人佐藤帯刀の居館であったという説があります。
現在、麓は墓地になっていますが、墓地の上部に「お姫様の墓」と呼ばれる墓があります。落城のとき落命された云々の伝説もあり、近隣の人々がよく香華を手向けております。
縄文中期の複式炉
ノ内(わくのうち)遺跡布川字中平、斎藤治良氏宅の裏山を三十メートルほど入った稜線に先祖民族の残した 「ノ内住居跡」があります。
昭和四十九年、県の指導を得て発掘調査をしたところ、地下約九十センチのところから縄文中期の代表的な複式炉がみつかりました。約四千五百年前のものとみられます。
この複式炉は、三つの部分に分けることができます。Aは、深鉢型土器を埋設し、口縁周辺に小石をめぐらしたものです。土器は底部まで赤く焼けており、内部で火を用いたことが推測されます。Bは、扁平な石で舟底型に築いてあり、各石とも強い火を受け、とくに土器に近い部分では高温のための亀裂さえ認められます。Cは、両側に石を並べたもので、とくに熱を受けた様子はありません。