「ふるさとの小径を行く」 -006/168page

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月舘小学校一帯に広がる
西原遺跡

 月舘小学校の敷地から新屋敷にかけて縄文時代の土器の破片や石器(鎌・石斧・石棒)が多数出土するので、この辺に大きな集落があったものとみられます。

 学校建築による整地や、耕作によって破壊され尽し、完全な遺跡の発見は期待できませんが、出土品は時折見つけることができます。

 かつては、布川が北の山裾を流れており、わくノ内遺跡とは川をはさんで向かい合う位置にありました。ともに住居として最適の地だったのでしょう。

 この辺一帯を現在の地名によって「西原遺跡」といいます。

ノート 1
 縄文式土器について
 表面に縄目の模様がついている土器を使用したのでこの名があります。
 編年については次の五つに分類しています。
 縄文早期(今から一万年〜七千年前)
 縄文前期(今から七千年〜五千年前)
 縄文中期(今から五千年〜四千年前)
 縄文後期(今から四千年〜三千年前)
 縄文晩期(今から三千年〜二千年前)
 土器の特徴としては、早期では深鉢型のとがり底で縄目も簡単です。前期になると、底が少し平らになります。中期では、大きなものが多くなり口縁部にうずまき状の装飾がつきます。土偶といいう人形のようなものも作られるようになります。後期・晩期になるといろいろな用途に応じた形が作られるようになってきます。
 低温で焼くため暗褐色から茶褐色のものが多く軟かでこわれやすいものです。


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