「ふるさとの小径を行く」 -007/168page
霊山を正面に望む
間館と戊辰戦死者の墓月舘小学校から東北の方、約四キロ登ったところに五戸の農家が点在する間館部落があります。この山の頂上附近に二〜三十アールほどの平坦地があり間館と呼ばれた館跡であると言われてきました。
誰が、いつ築いたものかは明らかでありませんが、霊山城と下手渡の館山との間にあるので間館の名がつけられたといいます。館跡からの眺望はすばらしく、霊山の全容が望めます。有事の際の拠点のひとつとして価値のあるところのようです。一説には、北畠顕家の武将、高野某の居館とあります。
館跡から西に少し下ったところの畑の片隅に三基の墓碑があり、六〜七メートル離れて土まんじゅうがあります。これは、明治元年、前柳の戦いに傷つき、死んだ仙台兵を葬った墓です。身元未確認のまま百余年を過ぎました。現在は身寄りに代わって土地所有者が香華を手向け、時代の犠牲者を弔っています。思えば戊辰の戦いでは、ここかしこにこのような尊い血が流されたことでしょう。