「ふるさとの小径を行く」 -008/168page

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大鳥城の悲話を残す
五郎兵衛館跡

 布川の中古屋と犬飼の境にある張り出した山の頂上にあたるところに「五郎兵衛館跡」があります。五段に細く帯状の段をつくり、最上部は約三坪(八平方メートル)の広さです。

 五郎兵衛は、姓を大越といい、飯坂の大鳥城主佐藤基治の重臣の一人で飯坂に五郎兵衛館を構えていました。文治五年(一一八九)、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を攻めたとき、泰衡の一族佐藤基治は奥州軍の先陣として頼朝軍を石那坂(福島)に迎えうち、壮烈な戦死をとげました(一説では存命、許されて大鳥城に帰る)。五郎兵衛は敗戦の折、基治の末子前信を擁してここ小手庄布川中古屋の地に隠れ住んだといい中古屋の佐藤氏はその末裔であると伝えられています。

 飯坂の佐藤氏は、其後旧領に戻り、大鳥城にて信夫地方を治めますが、領地のうち、伊達郡のほとんどは伊達氏の治めるところとなりました。なお、飯坂佐藤一族ゆかりのところとしては、西館に佐藤民部という人もおりました。(西館一九ぺージ参照)

下中古屋から見た五郎兵衛館跡(昭和49年写)
下中古屋から見た五郎兵衛館跡(昭和49年写)


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