「ふるさとの小径を行く」 -009/168page
山合いの工事場
金子坂遺跡茶畑の道標(一四八ぺージ)から右手、合の柴山の方へ約一キロ登り、水田が開けようとする手前に数年前まで金子塚がありました。
昔は、右やまみちと書かれたとおりの沢に沿った山道で、馬一頭がようやく通れるほどの道でしたが、現在は林道が開かれ、道筋も大きく変わりました。その結果、鉄滓が積もってできた金子塚は破壊され林道の真下になってしまったといわれます。今では沢沿いに鉄滓が見つかることから僅かに遺跡の存在を知るのみになっています。
鉄滓は五センチ内外のものが多く、多孔質です。羽口等は見つからず、規模や時代についても全く不明です。
東の方の「ガッカラ石山」の鉱石をここで鉄にしたとの言い伝えもありますが、鉱石採掘の証しも現在のところありません。人里遠いこのような土地である時期鉄工が行なわれていたことだけは明らかです。