「ふるさとの小径を行く」 -013/168page
月舘の象徴
月見館跡町の中央、西に広瀬川、南北を細布川と布川にはさまれた天然の要害の地に町名の起こりとなった月見館跡があります。
小手濫觴記には、飯坂佐藤庄司基治の一族佐藤民部が西館に居たことや、築館は月見館と称したことが記されているので、鎌倉時代の初めには幾多の城 館のあったことがわかります。
現在、月見館跡として認められるものに、頂上附近の本丸・二の丸・三の丸跡、南麓に守護神として祀られた赤城明神、搦手の守りとした天満宮、館の中腹にめぐらされた石垣や土塁の跡があり、中心部だけでも二段歩を越しその規模の大きさや配置は掛田の茶臼城に匹敵するものとみられます。大手門と称されるものは現在の真徳寺のあたりで、館門前