「ふるさとの小径を行く」 -018/168page
野竹原館跡
細布の野竹内にあり、田代五左衛門の館跡といわれています。約二反歩(二十アール)の敷地跡と搦手といわれる廊帯跡が残り、館の姿をしのばせてくれます。なお、大手門は南口にあったとのことです。
田代五左衛門は小手六十三騎の組頭として知行二百五十石、父を若松へ証人として差し出し妻子ともども梁川へ籠城しました。
慶長五年、松川(当時信夫山の南側を流れていた)の戦いでは、須田大炊介の下にあって伊達政宗軍の背後をつき、大勝利をおさめました。小手六十三騎はその後上杉家臣として会津へ赴いた人もありましたが、大部分は郷里に帰り農業に戻ったようです。上杉がこの地を去ってからは六十三騎の名も無くなりましたが、ほとんどの人は土地の豪族として残りました。(小手六十三騎については二九ぺージ参照)