「ふるさとの小径を行く」 -022/168page

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鉄製の直刀を出土した
大糠塚古墳と貞治の碑

 館の腰から糠田へはいって三百メートル、左手に見える小高い独立丘が大糠塚です。周囲ほぼ三百メートルのこの山は、現在、桃畑になっていますが、古くから古墳と云われてきました。大正年間に、頂上の石塔の下の土中より、七十余センチの直刀を発掘し、古墳であることが確認されました。そのときたくさんの石があったということですので、石室があったものと思われます。頂上部にあったといわれる墓印はすこし所を変えて置かれています。佐藤忠俊の墓ともいわれています。(西館。二十一ぺージ)

 「信達一統誌」に、貞治六年(一三六七)(正平二十二年)建立の古碑の記事があります。同誌によるとこの碑には、南朝方の新田、楠両公の死とともに 南朝の勢力衰え、このあたりも北朝方の支配するところとなったことを嘆いた文面が刻まれていたといいます。大糠塚の周辺から館の腰のあたりに建っていたようですが、大正時代の道路改修の折砕かれて土中に埋められてしまったとのことで、今はそのかけらも見当たりません。

大糠塚古墳全景
大糠塚古墳全景


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