「ふるさとの小径を行く」 -024/168page
石刀を出土Lた
畑中遺跡と経塚糠田・畑中にある三番組公民館の裏手一帯の畑から縄文時代の土器片・石器(石ヒ、石斧)が採集されることから古代の住居跡とみられ、畑中遺跡と呼ばれます。二町歩(ニヘクタール)に及ぶ広範囲の地域に分布するので、かなり大きな集落があったものと考えられます。
ここの出土品の中に、写真のような石刀があります。大は三五センチ、小は二八センチの長さで、ややそった内側が刃のようになっており、先端が尖っています。黒色の磨製石器で、縄文後期に多く作られたものとみられます。これらは儀仗用のものと考えられ、首長の存在が考えられています。(福島市史1)
また、公民館の一角になりましたが、「経塚」といわれてきたところがありました。一つの石に一文字を書いて埋めた石塚であったとのことです。
経塚が多く作られたのは平安時代の終わりのころですので、ここの経塚もそのころのものではなかったかとみられます。仏教の先進地のひとつです。