「ふるさとの小径を行く」 -025/168page
前方後円墳
桜壇古墳跡と経壇元苗内の薬師堂の裏山を北へ、稜線を五十メートル進んだところ、雑木林の中に一段と高くして上を畳七〜八畳の広さに平らにした土壇があります。これが経壇と呼ばれるものです。昔、薬師寺の和尚が地域の信者たちに野外で経文を誦し、説教を試みたところと言われています。説教後に経文を納めた塚であるとも伝えられています。
経壇から、東へ向きをかえて斜面を降り、別の稜線を五十メートル程登ったところ、老松の根元に「桜壇古墳」の跡があります。典型的な丘上前方後円墳であったといわれます。
大和を中心とした大墳墓時代を経て、地方の豪族の間にまで浸透してきたいわゆる小規模型古墳時代の遺跡として、教育委員会では昭和四十三年に町重要文化財に指定しました。
しかし、何百年にもわたる盗掘のため、埋装品はもとより、古墳そのものの原形すら推察できなくなっているため、昭和五十四年に指定を解除しました。周辺に散在する石の様子からみて、かなりの石室もあったものとみられます。副葬品なども確認されていませんが一応古墳時代(六世紀の後半から八世紀)のものとみられます。
古墳・経壇とも雑木林の中にひっそりと眠っています。