「ふるさとの小径を行く」 -026/168page
伝・錦代皇女の墓
女神山古墳糠田字女神山にあります。頂上には大石(雨乞石)を中心とする岩石と平坦地があり、それより南へ岩の間の小径を通れば小手姫神杜と刻まれた岩に到りますが、その反対側、川俣との境界に沿った急坂の小径を下りると平坦地に出、さら に進むと一段と低い平地に出ます。このように三段になっている地形を糠田の故長谷部廉三氏は小手姫の御稜の土壇であろうと推定したものです。
この最下段の平地に、土まんじゅう型の円墳とみられるものがありますが、これが前記長谷部氏によって錦代皇女の墓と考えられたものです。もとの形は、南北五メートル、東西約三メートルくらいのものであるといっています。
当古墳については調査も完全でなく、異論の多いところです。
斎藤氏の居館
長屋館跡小手六十三騎の一人、斎藤又左衛門の居館のあったところといわれてきましたが、現在その位置は明確でありません。記録には、斎藤又左衛門、手渡村とあるのみなので、居館跡も現在の下手渡とする説もあります。