「ふるさとの小径を行く」 -027/168page
馬の高橋氏の居館
馬城館跡上手渡馬城内公園の西の方へ約百メートル行ったところが館跡といわれています。館跡の南西部分は川俣町堺山になります。寛文十一年の検地帳に記された「うましろ」「館」という文字は近くに該当する地名がないのでここを指すものと考えられます。
現在、館跡と目される約十アール程の土地は松林になっていますが、一見してそれとわかる平坦地であり、犬走りや通路とみられるものも認めることができます。馬城内公園より館跡へかけて、六〜七メートル幅の平地が続きますが馬場であったと伝えられています。
館主や、館のあった時代についての記録は全くありませんが、言い伝えによりますと、鎌倉時代の初期、高橋丹波守の居館でありました。高橋家では、平生馬匹を多く飼育し、自家用のみならず、売買によって収益源ともしていたといわれます。その末裔(高橋家)では、焼印に裸馬を使用してきていますがこれが遠因していると思われます。